プログラミング的思考、遊んで学んではいかが?
小学2年生の息子から「ろんりてきしこー、って何?」と聞かれました。
ロジカルシンキングとかそんな話をしても通じないので、一瞬何と説明したら伝わるのか答えに窮しましたが、息子については「自分のやったことの結果を考えられるようになって欲しいな」と普段から感じていたので、次のように答えました。
「何をやったら何が起きるかを考えて、それを普段の生活で使うこと」
息子は「テキシコー」(https://www.nhk.or.jp/sougou/texico/)というプログラミング的思考を扱うテレビ番組を見たことがあり、「てきしこー」という音に反応して質問してきたようです。
少し脱線しますが、この「テキシコー」という番組、大人から見てもなかなか楽しめます。ただ、実験的な映像が中心なので「テレビの向こう側」感があり、子どもたちが日常の中で試せるような要素があるともっといいな、という印象です。
2020年度から小学校でもプログラミング教育が必修化され、テレビ(番組)でも取り上げられるようになったんですね。学習塾やスクールもありますよね。あのLEGOも進出していて、私もいい年のおじさんですけど、まぁ正直楽しそうです。確かにビジネスチャンスだとは思うのですが、1人の親としてはいささか仰々しく感じています。
というのも、「プログラミング教育」とか「プログラミング的思考」という言葉が目立っていますが、あくまで「論理的思考」の一つの手段に過ぎませんよね。プログラムや情報技術の存在を知り、それらに親しんでいくという側面は分かりますが、それよりも手段にこだわらず、次のような大きなプロセスに取り組んで、色々な手段を考えることの方が大事だ、というのが私の結論です。
- やってみる。
- 何が起きたか観察する。
- (もっと)うまくやるにはどうすればいいか考える。
- 考えたことを試してみる。(→満足しなければ2に戻る)
私は「ゲーム」なら、このプロセスに取り組みやすいのではないかと考えています。私は気分屋なので、息子がやる気になった時は、全力で取り組ませてあげたいと常々考えています。
やはり、スクールに行かないとできないのは困ります。興味が持ちやすいか、観察しやすいか、何度もやり直せるか、という主だった観点から考えると、「ゲーム」はとても合理的です。遊びの中で知らず知らずのうちに身に付け、学業として触れた時に「ああ、あのことか」と気付く、というのが理想的な展開です。
ゲームは何でもいいのですが、古いゲームを紹介してもしょうがないので、比較的最近のゲームで説明します。
「New スーパーマリオブラザーズ U デラックス」
URL: https://www.nintendo.co.jp/switch/adala/
私が、もとい我々が、幼少時代に気が触れたように熱中していた「スーパーマリオブラザーズ」(1985)とは出来る操作も複雑になり、基本操作が数段高度になっていますが、根っこは同じです。
序盤は初見でクリアできるステージもありますが、ゲームが進むにつれ、初見クリアはほぼ不可能になってきます。こうなるとトライ&エラーが基本のマインドセットです。うまくいかなければ、次どうするかを考えてもう一度試すだけです。
なお、このソフトには「おだいモード」という特殊なステージ群があり、これが本当にオススメです。何秒以内で、一度ジャンプしたら着地してはいけない、連続1upで何up以上、などのお題があります。通常のステージをクリアする時よりも高度な論理的思考/プログラミング的思考が要求されます。
「モンスターハンター」シリーズ
このゲームは一言でいうと「プロジェクト・マネジメント」です。
ゲームの目的はクエストをクリアしていくこと。クエストでは、限られた装備やアイテム、そして制限時間の中で、ターゲットとなるモンスターを捕獲 or 討伐することになります。
終盤になると壊滅的に強力なモンスターが沢山出てきます。オンラインで他のプレイヤーの力を借りてサクッとクリアすることもできますが、このゲームの一番の醍醐味はソロプレイです。自分の力だけで過酷極まりないクエストをクリアすると、至上の達成感が得られます。
基本的にクエストの制限時間は50分なので、準備も含めて正味60分を費やした挙句に時間切れになったり、モンスターに返り討ちに遭ったりすることが続くと正直気持ちが折れそうになります。しかし、それくらいの方が、どうしたらうまくやれるのかを「思考」し、実際どうなったかを「観察」する価値があるというものです。
色々書きましたが、アインシュタインの(と言われている)名言を思い出しました。「同じことを繰り返しながら違う結果を望むこと、それを狂気という(The definition of insanity is doing the same thing over and over and expecting different results)」。
つまり「違う結果を望むなら違うことをやる」ということです。論理的思考ここに極まる、といった印象です。息子にも伝わり、競うようにゲームをやってくれる日が来ることことを切に願っています。